日本大学芸術学部
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日藝の沿革
大正10年3月 東京神田三崎町、日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、同年4月開講した。
大正10年12月 法文学部美学科学監に松原寛が就任した。
大正13年3月 法文学部美学科を文学科文学芸術専攻と改称した。
大正13年12月 専門部芸術科の前身である専門部文科文学芸術専攻が併設され、翌大正14年4月に開講。学部及び専門部整備の第一歩を踏み出した。
大正15年1月 法文学部文学科文学芸術専攻を文学科外国文学芸術専攻と改称し、4月から新講座を開講した。
昭和2年5月 法文学部文学科外国文学芸術専攻を、英文学専攻と芸術学専攻に分離した。
昭和4年4月 法文学部文学科芸術学専攻に映画課程を設置した。専門部文科文学芸術専攻に文学、演劇、映画、美術、音楽の各部門を設置した。
昭和6年4月 法文学部(芸術学専攻)・専門部(文学芸術専攻)ともに東京神田鈴木町に移転し、これが現在の大をなす第一歩となった。
昭和8年7月 東京本郷金助町に移転し、実習室を整備した。この頃「日本大学芸術学園」と呼称した。
昭和9年8月 専門部芸術(芸術学園)科長に松原寛が就任した。
昭和12年4月 法文学部文学科芸術学専攻を法文学部芸術学科(文芸学、演劇美学、映画美学、美術史、音楽美学各専攻)に改組した。
専門部文科文化芸術専攻を芸術科(創作、演劇、映画、美術、音楽各専攻)に改組した。
付属として専科(実技科)、邦楽舞踊科、児童学園を併設した。
昭和14年3月 専門部芸術科に宣伝芸術、写真、商工美術の3専攻を増設し、8専攻となった。
専門部予科に美術、音楽各科を設置した。
芸術学部の紋章(通称:目玉のマーク)を制定した。
昭和14年4月 板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。
昭和18年4月 戦局の悪化による文部省当局の美術科・創作科の廃止要請に対し、やむなく専門部芸術科は、創作科と宣伝芸術科を合併して宣伝文芸科に、美術科と商工美術科を合併して工作美術科とした。結局、芸術科の8専攻科は演劇科、映画科、音楽科、写真科、宣伝文芸科、工作美術科の6専攻科となった。
昭和19年2月 教育に関する戦時非常措置により理科系統に転換するのやむなきに至り、文科系である専門部芸術科の学生募集を停止した。
昭和19年3月 専門部工科(芸術科を転換、駿河台工科と区別のため専門部板橋工科と通称)の中に新たに写真工業科、映画工業科の2科を設置し、戦時中は芸術教育を工科系の中で担当した。
昭和19年4月 専門部工業科長に松原寛が就任した。
昭和20年3月 専門部工科(板橋工科)に音響器械科、光学器械科の2科を増設した。
昭和21年3月 専門部芸術科長に金丸重嶺が就任した。
終戦により、昭和19年4月以降停止していた専門部芸術科(写真科、映画科、文芸科、音楽科の各専攻科)を復活、同時に造形科を新設し5科となった。
なお、法文学部芸術学科は戦時中も存続を保ち、新制大学への移行の基礎となった。
昭和21年4月 専門部工科(板橋工科)として設立されていた写真工業科、映画工業科、音響器械科、光学器械科の4科は学生募集を停止した。
昭和21年11月 芸術科校舎本館が全焼した。
昭和23年4月 専門部工科(板橋工科)を廃止した。
昭和24年2月 学制改革により新制学部に移行、芸術学部となり、まず写真・映画・美術・音楽・文芸の5学科を設置、同年4月発足した。
昭和25年2月 芸術学部校舎内に芸術学部所管の定時制による日本大学江古田高等学校を設置し、4月から学生募集を開始した。
昭和25年3月 演劇学科を増設し6学科となった。
昭和26年4月 芸術学部長に尾形亀吉が就任した。
大学院に芸術学研究科(修士課程)文芸学専攻が設置され、芸術学部内に併置された。
昭和29年4月 芸術学部長に渡辺俊平が就任した。
昭和31年3月 専門部各科を廃止した。
昭和31年10月 創設35周年記念式典を挙行した。
昭和33年1月 短期大学部の中に放送科が設置され、芸術学部内に併置された。
昭和35年1月 放送学科を増設し、7学科となった。
昭和35年4月 短期大学部放送科の学生募集を停止した。
昭和44年4月 芸術学部芸術研究所を設置した。
昭和44年5月 芸術学部長に登川尚佐が就任した。
昭和45年4月 日本大学江古田高等学校を休校とした。
昭和47年4月 芸術学部長に宮田礒治が就任した。
昭和47年11月 創設50周年記念式典を挙行した。
昭和49年1月 芸術学部長に貴島清彦が就任した。
昭和50年10月 短期大学部放送科を廃止した。
昭和51年2月 日本大学江古田高等学校を廃止した。
昭和51年3月 入学定員を450名から600名に変更した。
昭和53年4月 埼玉県所沢市に校地を購入した。
昭和55年1月 芸術学部長に大内英吾が就任した。
昭和56年11月 創設60周年記念式典を挙行した。
昭和58年1月 芸術学部長に大竹徹が就任した。
昭和61年9月 中華人民共和国・北京広播学院(現・中国伝媒大学)と学術・文化交流に関する覚書を調印した。
昭和63年7月 埼玉県所沢校地に新校舎建設を開始した。
昭和63年12月 入学定員を600名から820名に変更した。
平成元年4月 所沢校舎を開設し、教養課程(専門科目の一部を含む)を移転した。
平成3年10月 芸術学部長に八木信忠が就任した。
平成3年11月 創設70周年記念式典を挙行した。
平成5年4月 大学院芸術学研究科(修士課程)に4専攻(映像芸術専攻、造形芸術専攻、音楽芸術専攻、舞台芸術専攻)を増設し、5専攻となった。
平成5年11月 所沢校舎開設5周年記念行事を実施した。
平成6年4月 芸術学部芸術資料館を設置した。
平成7年4月 大学院芸術学研究科博士後期課程(芸術専攻)を増設した。
平成8年4月 デザイン学科を増設し、8学科となった。入学定員を820名から840名に変更した。
平成10年5月 所沢校舎開設10周年記念行事を実施した。
平成12年10月 芸術学部長に一ノ瀬邦夫が就任した。
平成13年11月 創設80周年記念式典を挙行した。
平成16年4月 所沢校舎テレビスタジオ棟が竣工した。
平成16年7月 江古田キャンパス整備事業による新校舎建設工事を開始した。
平成16年9月 所沢校舎美術棟・文芸棟・デザイン棟が竣工した。
平成17年9月 芸術学部長に野田慶人が就任した。
平成19年4月 江古田校舎東棟が竣工した。
平成20年4月 江古田校舎南棟・食堂棟が竣工した。
平成20年9月 江古田校舎大ホール棟が竣工した。
平成21年9月 江古田校舎西棟が竣工した。
平成22年2月 江古田校舎北棟が竣工した。
平成22年3月 江古田校舎ギャラリー棟が竣工した。
平成22年4月 江古田キャンパス新校舎修祓式を挙行した。
平成22年7月 ホームカミングデーを開催した。
平成23年11月 創設90周年記念式典を挙行した。
平成28年10月 第3回アジア大学生映画祭が江古田校舎にて開催された。